登山年次
提供: 新纂浄土宗大辞典
とざんねんじ/登山年次
法然が菩提寺の観覚のもとから比叡山に登った年次のこと。この年次には、①天養二年(一一四五)一三歳、②久安二年(一一四六)一四歳、③久安三年(一一四七)一五歳の三説がある。①は『四巻伝』一・『私日記』・『増上寺本』上・『十六門記』・『弘願本』一・『琳阿本』二・『私聚百因縁集』八・『正源明義鈔』一、②は『法然上人秘伝』上・『選択集秘鈔』一・『選択之伝』、③は『知恩講私記』・『醍醐本』「別伝記」・『古徳伝』一・『九巻伝』一上・『四十八巻伝』三・『十巻伝』一などの所説である。望月信亨は良栄理本や良暁の『決疑鈔見聞』に一三歳登山が相伝の説と記すことを指摘し、登山と登壇受戒とが同年に行われた一五歳説に疑義を呈した。中沢見明も一三歳で登山した法然は、受戒する一五歳までは当時の僧家の風習であった垂髪のままで僧徒に随従する喝食であったと推定した。大橋俊雄は『山家学生式』に定める一二年間の修行を終えた法然が二四歳のときに釈迦堂参籠のため下山したとして、一三歳登山説を主張した。しかし、伊藤唯眞は『知恩講私記』を根拠として一五歳登山説を主張し、同年の登壇受戒の疑義に対して、法然は観覚を師としてある程度の学を修めているので登山と受戒とに年数を置く必要はないとし、『明義進行集』二に記す信空が登山の翌日に出家している例を挙げて反証した。
【参考】望月信亨「法然上人登山の年時に就て」(『浄土教之研究』金尾文淵堂、一九二二)、中沢見明「法然諸伝成立考」(『真宗源流史論』法蔵館、一九八三)、大橋俊雄『法然—その思想と行動』(評論社、一九七〇)、伊藤唯眞「『知恩講私記』と古法然伝」(『浄土宗史の研究』伊藤唯眞著作集Ⅳ、法蔵館、一九九六)、梶村昇「法然上人の登叡について」(『阿川文正教授古稀記念論集 法然浄土教の思想と伝歴』山喜房仏書林、二〇〇一)
【執筆者:山本博子】