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珍海

提供: 新纂浄土宗大辞典

ちんがい/珍海

寛治六年(一〇九二)—仁平二年(一一五二)一一月二三日。「ちんかい」とも読むほか、禅那院、越前已講ともいう。平安末期の南都浄土教を代表する、東大寺、醍醐寺を中心に活躍した三論宗の学僧、画僧。父は絵画の土佐派の祖、藤原基光。画僧としての作品はボストン美術館、高野山、醍醐寺等にその作風を伝えるものが現存する。東大寺覚樹の門に入り三論を、のちに覚樹の実兄である醍醐三法院定海に師事して密教を学んだ。とくに当時の因明研究の主流であった興福寺系以外の学僧として優れた業績を残し、三論、因明浄土教にわたり深い学識を持つ。現存する著作も多く、『因明大疏四種相違抄』二巻、『八識義抄研習抄』三巻、『菩提心集』二巻、『俱舎論明眼抄』六巻、『大乗正観略私記』一巻、『三論玄疏文義要』一〇巻、『決定往生集』二巻、『一乗義私記』一巻、『三論名教抄』一五巻、『安養知足相対抄』一巻、『大乗玄問答』一二巻が現存するほか、『浄土義私記』二巻があったと伝えられる。法然東大寺講説の際に、本朝で善導の義を補助するものとして、源信永観に続いて珍海をあげている。これは、珍海が『決定往生集』第五修因決定に六門を明かす中に、善導観経疏散善義、就行立信じゅぎょうりっしん釈の浄土開宗の文を引き、随縁所起の業相中の正定業として称名念仏をあげているからである。ただし、「称名は正中の正」といいながらも、善導が『観経疏』で説く、順ずべき「かの仏の願」を第十八願ではなく第二十願で理解している。このことは、南都浄土教の中で正定業はあくまでもじょう三昧)を得るための行であることを意味し、法然との違いを見ることができる。


【参考】平子鐸嶺『仏教芸術の研究』(金港堂書籍、一九一四)、小野玄妙「珍海已講の芸術」(『密教研究』五〇、一九三三)、恵谷隆戒「珍海已講著鎌倉古写本 安養知足相対抄に就いて」(『専修学報』二、一九三四)、坂上雅翁『浄土仏教の思想』七「珍海」(講談社、一九九三)


【執筆者:坂上雅翁】