済度
提供: 新纂浄土宗大辞典
さいど/済度
済はすくう、度はわたすの意味。済渡とも記す。仏が衆生を浄土へ済い度すこと。『無量寿経』「四誓偈」には「普く諸の貧苦を済う」「広く衆もろの厄難を済い」(聖典一・二三三/浄全一・一一)とある。道綽は『安楽集』下で『大智度論』三八の「衆生抜済」の文を引用しながら済(すくう・たすける)について述べ、善導も『観経疏』玄義分で道綽の説示に準じており、済度には「すくいわたす」という能動的な行為が明らかに含まれていると考えられる。法然が「済度」の語を用いている代表的な事例は五つある。法然は『三部経大意』で「内証外用の功徳、済度利生の誓願」(昭法全二八)と言い「済度衆生の願は平等にして差別有る事なけれども縁無き衆生は利益をかうむる事あたはず」(同三〇)と述べ、また、「此願久して衆生を済度せむが為に、寿命無量の願を立て給へり」(同三一)、そして、「済度利生の方便、今は誰に向てか問ひ奉るべき」(同四二)とも語っている。総じて阿弥陀仏の本願は「衆生を浄土へ〈すくいわたす〉」ために立てられたのであると言う。『逆修説法』三七日では「阿弥陀仏の内証外用の功徳無量といえども、要を取るに名号の功徳にはしかず。是の故に即ち、彼の阿弥陀仏殊に我が名号を以て、衆生を済度し、釈迦大師も多く彼の仏の名号を讃じて、未来に流通したまえり」(昭法全二四五)と、阿弥陀仏の名号のなかには衆生を「すくいわたす」働きのあることを指摘している。阿弥陀仏の本願力を衆生済度の働きとして具体的に語ることができるが、その力用が救済ではなく済度(すくいわたす)である点に注意を払わなければならない。そのことを重視すれば、この語は浄土往生(浄土へ往き生まれる)の意味に重なるとも言える。
【参考】藤本淨彦「法然浄土教における救済概念」(『法然浄土教の宗教思想』平楽寺書店、二〇〇三)
【参照項目】➡救済
【執筆者:藤本淨彦】