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提供: 新纂浄土宗大辞典

そう/想

感受したものを表象すること。外界から受ける事物の形象を概念的に構成する知覚や表象のはたらきの一つ。想像、感想、思想等の語に対応する。Ⓢsaṃjñāの訳。意識、表象、観念などの意味であり、僧若と音写する。心所しんじょの名。五蘊ごうん(色・受・想・行・識)の一。俱舎では十大地法(受・想・思・触・欲・慧・念・作意・勝解・三摩地)の一つであり、唯識では五遍行(作意・触・受・想・思)の一つ。『俱舎論』では、「想蘊は、謂わく、能く像を取るを体となす。即ち能く青・黄・長・短・男・女・怨・親・苦・楽等の相を執取す。此れも復た分別すれば六想身と成る。まさに受の如く説くべし」(正蔵二九・四上)とあり、事物の長短や苦楽等の対境の様相を思い浮かべ、構画することとして述べられている。また想を観想の意味に用いて、『大般若波羅蜜多経』三(正蔵五・一二上)などでは十想(無常想・苦想・無我想・不浄想・死想・一切世間不可楽想・厭食想・断想・離想・滅想)を説き、『観経』では太陽や水や大地など一六の形象を心の中にありありと思い描く十六観の法が説かれる。また『往生要集』大文第四においては、念仏を修するときに三想、すなわち帰命きみょうそう(仏に帰命するおもい)、引接いんじょうそう(仏に導かれるおもい)、往生想(浄土往生したいと願うおもい)に住すべきことが説かれている。


【資料】『順正理論』二、『大乗五蘊論』、『大乗阿毘達磨雑集論』一、『成唯識論』三、『往生要集』大文第四


【参考】服部英淳『浄土教思想論』(山喜房仏書林、一九七四)


【参照項目】➡五蘊三想


【執筆者:薊法明】