大門了康
提供: 新纂浄土宗大辞典
おおかどりょうこう/大門了康
嘉永四年(一八五一)五月—昭和三年(一九二八)三月八日。豊蓮社民誉扇阿。字は仁風。京都市上京区元二階町に大江成宣の五男として生まれる。万延元年(一八六〇)大坂竜渕寺の大門了戒について得度。明治五年(一八七二)八月竜渕寺に晋山し教学の研鑽と布教に励む。同一八年宇治平等院の住持になる。同二一年京都支校長に就任し、同四〇年には宗教大学専修部講師となり伝道法を講じ宗門伝道の興隆につとめた。大正三年(一九一四)一一月小松谷正林寺に転じ、同九年一二月には鎌倉光明寺に転じる。昭和三年長野県諏訪郡平野村(現・岡谷市堀ノ内)広円寺において布教中に急性肺炎のため寂す。終始一貫、往生の業は平生に成弁すると説き平生業成の声の念仏を主張し、その意気盛んな様を世人は大門式と呼んだ。
【資料】大橋俊雄『浄土宗人名事典』(斎々坊、二〇〇一)、藤本了泰『浄土宗大年表』(山喜房仏書林、一九九四)
【執筆者:永田真隆】