北条的門
提供: 新纂浄土宗大辞典
ほうじょうてきもん/北条的門
文化五年(一八〇八)—明治二二年(一八八九)一月四日。即蓮社得誉忍阿と称し、水月庵と号す。江戸時代後期から明治初期にかけての布教家。富山に生まれ、守山極楽寺の的山について出家し、増上寺の宝誉顕了の室にあって学び伝宗伝戒を相承する。その後、京の専念寺隆円や西光寺十阿義門、さらに長門の大日比西円寺の法洲について学を究める。その後、三四歳にして知恩院の方誉順良の命により、天明の大火で被災した京の大雲院の住持となり、復興に尽力した。明治維新後、廃仏毀釈にあたり全国を巡教すると共に、数百にも及ぶ著作を残した。著書を集めたものには『的門上人全集』五巻がある。
【資料】『略伝集』(浄全一八・五七三~四)
【参照項目】➡的門上人全集
【執筆者:大澤亮我】