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六地蔵

提供: 新纂浄土宗大辞典

ろくじぞう/六地蔵

六道のそれぞれを教化する六体の地蔵菩薩。日本に数ある仏・菩薩の中で地蔵ほど人々に親しまれ、また篤い信仰の対象とされている仏・菩薩は少ない。地蔵は祈願を立てればいつでもどこへでも救いの手をさしのべ、数々の苦難から人々を救ってくれると信じられている。特に浄土信仰の影響もあって、地蔵は人間が生前の業によって死後に輪廻する、地獄餓鬼畜生修羅・人間・天界のいわゆる六道で苦しむ死者を救済してくれるとする信仰がおこり、その結果、墓地の入口などに六地蔵が祀られるようになった。さらに「六」という数がこの世とあの世の境や、他にもさまざまな意味における境界を象徴する数字として理解されてきた。たとえば京都では、毎年八月に東山六道珍皇ちんのう寺(通称六道さん)で「六道参り」とよばれる盆の精霊迎えの行事が行われる。これは「六道の辻」から戻ってくる先祖の霊を迎えるための行事だが、その背景には、珍皇寺が平安時代の葬地であった鳥部野とりべのの入口に立地していることがあると考えられる。かつて死者はこの寺で引導を渡されて葬地へ送られた。つまり「六道の辻」とは、この世とあの世の境にあたる場所を指す。また京都では八月二三日と二四日に「六地蔵めぐり」と称して、市内から外の地域へ通じる街道の分岐点に位置する、六地蔵を祀る寺院を巡拝する慣習がある。対象となるのは、鞍馬街道の入口にあたる北区鞍馬口上善寺の「鞍馬口地蔵」、東海道の入口にあたる山科区四ノ宮徳林庵の「山科地蔵」、奈良街道の入口にあたる伏見区桃山大善寺の「伏見六地蔵」、西国街道の入口にあたる南区上鳥羽浄禅寺の「鳥羽地蔵」、山陰街道の入口にあたる西京区桂地蔵寺の「桂地蔵」、周山街道の入口にあたる右京区常盤源光寺の「常盤地蔵」の六寺院である。このような六地蔵めぐりが普及するのは明治以降のことであるが、それがやがて周辺地域にも影響を与え、たとえば丹波の亀岡市曽我部でも同様の六地蔵めぐりが伝えられている。このように六地蔵は、あの世とこの世の境だけではなく、たとえば四辻や峠などにも祀られるという例も多く見られるように、まさに境界を守護する仏として信仰されてきたことがわかる。


【参考】桜井徳太郎編『地蔵信仰』(『民衆宗教史叢書』一〇、雄山閣出版、一九八三)


【参照項目】➡地蔵信仰


【執筆者:八木透】