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十住毘婆沙論

提供: 新纂浄土宗大辞典

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じゅうじゅうびばしゃろん/十住毘婆沙論

龍樹著。成立年次不詳。五世紀初めごろに鳩摩羅什が訳出。一七巻三五品からなる『十地経じゅうじきょう』(『十住経』とも)の注釈書。漢訳のみが現存。原名はⓈdaśa-bhūmi(ka)-vibhāṣāと考えられる。ただし『十地経』全般の注釈としては不完全で、初地と第二地の注釈で終わっている。法蔵の『華厳経伝記』一(正蔵五一・一五六下)には、本論は耶舎三蔵が口誦し鳩摩羅什が訳出したものだが、第三地以後は不誦のため未完であったと伝えている。内容上は、初歓喜地の注釈箇所で在家菩薩の行法を、第二離垢地の注釈箇所で出家菩薩の行法を主に説いている。全三五品の中で後世に最も注目されたのは在家菩薩の行法を説く「易行品」第九である。序品では、長劫にわたって輪廻世界に身をおいて自利利他の二行に精進し十地を全うするのが菩薩道の本義であるとし、これを踏まえて易行品は、新発意しんぽっちの在家の菩薩発心不退転を速やかに得る「信の方便」を説いている。それは十方三世の諸仏諸菩薩憶念称名、恭敬、礼拝するもので、阿弥陀仏も諸仏の一仏に数えられる。この行法は自力で陸路を歩行する難行に対して、水路を乗船でゆく易行に譬えられる。ただしこれは次の除業品第一〇の懺悔勧請随喜回向分別功徳品第一一の一日昼夜六時礼拝行へと連続する行法であって、これによって諸仏現前三昧を得て現世発心不退転を得るとしている。『出三蔵記集』四は、易行品の抄出の『初発意菩薩行易行法』一巻があったとしている。曇鸞は『往生論註』で、五濁の世、無仏の時という時代観のもとで易行品を典拠にした易行道を主張した。これは信仏の因縁によって浄土に生まれたいと願い阿弥陀仏願力に乗じ、往生の後に不退転を得ると解釈するもので、後の浄土教に影響を与えた中国的展開である。道綽の『安楽集』上も同主旨で本論を引用し、また末法の時代には浄土門のみ通入可能であるとしている。法然は『選択集』一で、曇鸞がいう易行道道綽浄土門と同義とし、また『十住毘婆沙論』を、傍らに往生浄土を明かす書としている。


【所収】正蔵二六(国訳・釈経、論部七)


【参考】瓜生津隆真校註『十住毘婆沙論』Ⅰ・Ⅱ(『新国訳大蔵経』釈経論部一二・一三、大蔵出版、一九九四・一九九五)


【参照項目】➡龍樹


【執筆者:小澤憲珠】