一心院
提供: 新纂浄土宗大辞典
2018年3月30日 (金) 06:19時点における192.168.11.48 (トーク)による版
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いっしんいん/一心院
一
秋田県大館市谷地町。起行山。秋田教区№二八。弘治元年(一五五五)常陸国那珂郡小場村(茨城県常陸大宮市)に城主小場義実の供養のため建立された。開山は弁誉。慶長一六年(一六一一)佐竹氏の秋田移封に伴い、現在の地に遷る。元和三年(一六一七)三代良円一廓のとき大館城代佐竹義成により堂宇が再建され、良円は大館における中興開山となる。その後、円通寺末(栃木県芳賀郡益子町大沢)として、寺領三〇石を賜るなど興隆した。黒金地蔵と呼ばれる正徳四年(一七一四)作の青銅放光王地蔵菩薩がある。また、境内には真田幸村・大助父子のものと伝わる現飯田家の墓碑がある。
【資料】『蓮門精舎旧詞』五〇(続浄一八)、『浄土宗寺院由緒書』中(『増上寺史料集』六)
【執筆者:渡部伸一】
二
京都市東山区林下町。群仙山。捨世派の本山。現在は単立寺院。開山は称念。称念は、天文一七年(一五四八)秋に上洛の折、知恩院山内にある御廟の南の平地に庵を結び、法然の旧跡をしのび日に六万遍の念仏を称えたという。その冬には、知恩院二七世光然との法契も深く、その地に一心院を創建した。本尊は安阿弥作の阿弥陀如来立像で、もとは青蓮院の護摩堂にあったもので、称念と親交のあった尊鎮法親王の寄付であるという。親王からは、創建当時の山門と築墻の寄付の記録も存する。
【資料】『称念上人行状記』上、『浄土宗寺院由緒書』下(『増上寺史料集』七)、『華頂誌要』
【参照項目】➡称念
【執筆者:東海林良昌】