真如堂
提供: 新纂浄土宗大辞典
しんにょどう/真如堂
京都市左京区浄土寺真如町。鈴声山真正極楽寺。真如堂は通称。天台宗。その沿革は、もと比叡山常行三昧堂の本尊であった慈覚大師円仁作の阿弥陀如来を一条天皇の勅願により、永観二年(九八四)に戒算が洛中の神楽岡にあった東三条女院(一条天皇母、藤原道長姉)の離宮に迎えたのが始まりとされる。正暦年間(九九〇—九九五)には諸堂が完成し、当寺が開創された。しかし、応仁の乱により諸堂が荒廃し、本尊を比叡山黒谷に移す。その後も穴太宝光寺(大津市)、京都室町勘解油小路(足利義輝邸、現在の京都御所より西側)、一条西洞院(京都市上京区元真如堂町)を転々とする。その後、豊臣秀吉により、天正一五年(一五八七)寺町今出川の地に本尊を移し、慶長九年(一六〇四)には本堂が再建された。しかし、元禄五年(一六九二)火災に遭い堂舎は烏有に帰した。その後二八世尊通により神楽岡の地に堂塔伽藍が再建され、享保三年(一七一八)に堂供養が行われた。現在の境内には、尊通代に建造された本堂を中心に、三重塔、元三大師堂、鐘楼、山門(総門)などの諸堂が配置される。また、年中行事には特筆すべきものがあり、毎年一〇月一四日から一六日に行われる引声法要では、極楽浄土の池の波音になぞらえた慈覚大師伝来の荘厳な節をつけた『阿弥陀経』が唱えられる。さらに当寺は、十夜法要(一一月五~一五日)発祥の地としても有名である。本堂、本尊阿弥陀如来立像はともに国重要文化財。
【参考】清水真澄・土村清治『真如堂』(淡交社、一九九五)
【執筆者:東海林良昌】