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一念義

提供: 新纂浄土宗大辞典

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いちねんぎ/一念義

法然門下の成覚房幸西と法本房行空によって唱えられた思想。当時の一般的な念仏信仰がはらむ自力行為性を批判し、本願への信心往生正因とみなした。主に幸西の思想とその門流を指すことが多い。幸西はもと天台僧で、建久九年(一一九八)三六歳で法然弟子となり浄土宗を学ぶ。法然一門では念仏行と信心のいずれを本質的な正因とみるかで二つの傾向を生じ、幸西信心を本質とみる立場から頭角をあらわし、建永の法難前から寺院勢力側によって指弾された。残存著書の少なさから思想の全貌は判明し難いが、建保六年(一二一八)撰述の『玄義分抄』一巻は善導の『観経疏』玄義分の注釈で、幸西の思想をある程度体系的に知りうる重要な著書である。このほか東大寺凝然の『源流章』に、散逸した『一渧記いっていき』『略料簡』『称仏記』が引用される。これらによると、真実の仏法たる凡頓一乗真宗の立場から聖道門や諸行往生は調機誘引の方便説に過ぎないと斥け、本願仏智の一念(願心)に対する信心(決了心)のみを往生正因とし、信心を基軸とした思想体系を形成した。さらに玄義分を独自に解釈して聖道門や諸行別時意方便説とすることや、報土化土往生説を説き、同門の隆寛証空親鸞と思想的に近い。また天台教学・本覚思想の影響を受けたと指摘されることが多いが、真実・方便一乗・調機などの天台的要素は弘願一乗の体系に取り込んだ上で用いられており、見直す必要がある。民衆は一般生活で肉食などの悪業を犯すため、造像・経典書写や仏寺建立、念仏陀羅尼など様々な善根滅罪臨終正念のため広く実践された。それらは人間の身体的行為で量的に多いほど滅罪功徳も大きいと考えられた。このようななか、一念義系の人は「数返を申すは一念を信せさる也、罪を怖るるは本願を疑う也」(『念仏名義集浄全一〇・三七五下)と数量念仏や造罪を恐れる意識本願不信の表れだと批判し、一般的な善根観や罪業観と対峙した。念仏相続まで否定したため法然は信と行の関係について、「信をば一念に生まると取り、行をば一形いちぎょう励むべし」(『禅勝房にしめす御詞』聖典四・四三三/昭法全四六四)と一念義的偏向を制止した。一念義はその急進性から寺院勢力はもとより浄土宗内部からも批判を受け思想的実質を失っていった。罪業観に基づく仏事善根都鄙とひ民衆に浸透した歴史状況のなか、一時的に異彩を放った思想である。


【資料】『遣北陸道書状』、『遣兵部卿基親之返報』『越中国光明房へつかわす御返事』、『念仏名義集』、『浄土宗名目問答』


【参考】松野純孝『親鸞—その生涯と思想の展開過程』(三省堂、一九五九)、平雅行『日本中世の社会と仏教』(塙書房、一九九二)、善裕昭「幸西の一念義(一)」(『佛教大学大学院紀要』一八、一九九〇)、同「幸西の一念義(二)」(『浄土宗学研究』一八、一九九二)


【参照項目】➡幸西法然門下の異流一念多念多念義仏智の一念


【執筆者:善裕昭】