酒
提供: 新纂浄土宗大辞典
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さけ/酒
一般的にアルコール分を含む飲料のことを指す。その種類は豊富で原料や製法は多種多様であり、飲料品としての一面のほか、少なくとも祭祀に用いられる供物としての一面がある。例えば古代インドにおいては、ヴェーダ祭式の中心は、浄化した神酒ソーマを祭火に注いで諸神に捧げ、残余を祭官その他の参加者が飲むことにあった、と言われ、あるいは古代日本においても、酒は神祀りのための飲み物であり、酔うことは神を迎えることを意味した、と指摘されるように、祭祀における酒は神々と人間とを交流させる機能が託されている。他方、酒には摂取による健康上の効能があるとされるものの、悪影響もまた指摘され、さらには酩酊して身心を制御する能力が失われないよう注意が喚起されており、仏教においても飲酒から遠ざかるよう、いわゆる飲酒戒が定められている。この戒の制定にあたっては次のような因縁譚がある。『パーリ律』(南伝二・一七一~五)によれば、ある街の悪竜を降伏した比丘に対し、その街の人々が六群比丘の勧めにより酒を供養したところ、その比丘が酩酊し街の門口で倒れ込んでしまった。そこに釈尊一行が遭遇して彼を僧園に連れ帰り、釈尊に頭を向けて寝かせたが、身を転じて足を向けてしまったという。彼はもともと釈尊を敬う態度に欠けていたが、このようなことは人々の信仰の妨げになるとして、これをきっかけに飲酒を波逸提(懺悔すれば許される罪)にしたという。浄土宗における戒の基盤となる『梵網経』においても飲酒戒は懺悔が課せられる四十八軽戒に含まれるが、酒は罪を犯す素であり、仏弟子たる者がこれを売ったり、人に売らせたりすることは十重禁戒に含まれ、教団追放に値する波羅夷罪になるという。なお『四分律』一六(正蔵二二・六七二上)には飲酒に関する一〇の過失が挙げられ、『大智度論』一三もまた飲酒の過失を挙げ「諸の善の功徳を奪えば愧を知る者は飲まず」(正蔵二五・一五八下)と説く。ちなみに飲酒について法然は円頓戒を熟知しつつも、『一百四十五箇条問答』においては「酒飲むは罪にてそうろうか」という問いに対し、「答う、まことには飲むべくもなけれども、この世の習」(聖典四・四六〇/昭法全六五六)と答えている。これは「実にも凡夫の心は、物狂い酒に酔いたるがごとくして、善悪につけて思い定めたる事なし」(『往生浄土用心』聖典四・五四八/昭法全五五七)といった人間観を根底に有する念仏往生の教えから導かれた答えであろう。なお、「般若湯」は酒の隠語である。
【参考】辻直四郎『リグ・ヴェーダ讃歌』(岩波書店、一九七〇)、三浦佑之『口語訳古事記』(春秋社、二〇〇二)、平川彰『平川彰著作集一六 二百五十戒の研究Ⅲ』(春秋社、一九九四)、石田瑞麿『仏典講座一四 梵網経』(大蔵出版、一九七一)
【参照項目】➡飲酒戒
【執筆者:袖山榮輝】