天明二年(一七八二)—文政一〇年(一八二七)四月一二日。転誉。山城国の人。大和国添上郡(奈良市)西光寺慈雲のもとで出家得度し、その傍ら皆川淇園きえんに儒学を学んだ。のち深川霊巌寺智灯のもとで宗義を研究し、増上寺山内瑞華院に住んだが、非法乱行があったため、文化一三年(一八一六)に八丈島へ流された。その後、生母からの手紙を読み、悔い改めて滝尾山巌窟に隠棲し、経行称名念仏に勤しんだ。著書に詩集『東瞑余課』一巻・『山居艸』一巻がある。
【資料】『続日本高僧伝』一〇(仏全一〇四)、『略伝集』(浄全一八)
【執筆者:大屋正順】