一向に専ら阿弥陀仏の名を称えること。また善導『観念法門』に「若し定心三昧及び口称三昧を得れば、心眼即ち開いて彼の浄土の一切の荘厳を見る」(浄全四・二三〇下~一上/正蔵四七・二六上)とあるように、口称を専ら修することによって得られるその状態をもいう。『三昧発得記』には、法然が口称三昧を発得し、浄土の依正二報を目の当たりにしたことが記されている。しかし、それはあくまでも自ら求めずして得られたものであることに注意しなければならない。
【参照項目】➡口称、三昧発得
【執筆者:三輪隆就】