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三昧発得記

提供: 新纂浄土宗大辞典

さんまいほっとくき/三昧発得記

一巻。法然著。『醍醐本』に「御臨終日記」の後部として所収されるが、ほかにも『西方指南抄』中巻本に「建久九年正月一日記」、『拾遺漢語灯録』に「三昧発得記」として所収されるほか、「二尊院縁起」にも掲載される。建久九年(一一九八)正月から元久三年(一二〇六)正月にかけて、法然が自らの宗教体験である三昧発得の事情を書き綴ったもの。初めは別時念仏をしていると明相を見るに及び、順に水想観地想観、瑠璃相、宝樹、宝池、宝殿、瑠璃壺などが現出し、鳥の声、琴、笛、笙の音を聴き、その後勢至菩薩阿弥陀仏の面像を拝し、ついには三尊の大身の出現が記されている。『西方指南抄』本に「聖人ノミツカラノ御記文ナリ」(昭法全八六七)とあり、『拾遺漢語灯録』本末尾には「源空自筆にて之を記す」(昭法全八六五欄外)とあるように法然が自らの筆で記したものであったが、『西方指南抄』本に「外見ニオヨハサレ、秘蔵スへシ」(昭法全八六五)とあり、『醍醐本』に「年来の間勢観房源智)秘蔵して披露せず」(同)とあるように、法然弟子源智に披露せずに秘蔵するよう指示して授けたものである。また「上人往生の後、明遍僧都之を尋ねて一見を加え随喜の涙を流し、即ち本処に送らる、当時にいささか此の由を聞き及ぶといえども未だ本を見ざれば其旨を記さず、後に彼の記を得て之を写す」(昭法全八六三)とあるように、法然没後、明遍が一見した後、源智のもとに戻している。『三昧発得記』の存在は、『園太暦』貞和五年(一三四九)五月一五日条、円慈の『浄土希聞抄』四、義山の『翼賛』五〇「二尊院」等に認められるほか、二尊院所蔵『巡見奉行案内帳』に「七箇条制誡」「足引之御影」とともに記載されており、少なくとも元禄年間(一六八八—一七〇四)頃までは二尊院に所蔵されていたことが確認される。


【所収】昭法全


【参考】中野正明『法然遺文の基礎的研究』(法蔵館、一九九四)


【執筆者:中野正明】