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行西

提供: 新纂浄土宗大辞典

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ぎょうさい/行西

三世紀頃の人。『七箇条制誡』に署名がみられるため法然門弟と考えられるが詳細は不明。


【執筆者:編集部】


—弘長二年(一二六二)七月二三日。俗名を小柴国頼という。出自は武士階級であり、官職は新左衛門じょう。在家者でありながら六万遍の念仏を日課としていた。弘長二年七月に出家行西と号した。同年七月二〇日、夢中で善導に出会い、大罪を犯した者でも来迎にあずかれることを告げられる。その三日後に種々の瑞相を伴って遷化したが、七日七日の逮夜になると奇瑞の音楽が鳴り響いた。『念仏往生伝』の編者、行仙は四七日の忌日に、遠く離れた本房からこれを聞いたという。


【資料】『念仏往生伝』(『金沢文庫資料全書』四、神奈川県立金沢文庫、一九八〇)


【参考】家永三郎「金沢文庫本念仏往生伝の研究」(『仏教史学』二—二、一九五一)


【執筆者:加藤弘孝】