観想念仏
提供: 新纂浄土宗大辞典
2018年3月30日 (金) 06:21時点における192.168.11.48 (トーク)による版
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かんそうねんぶつ/観想念仏
仏の相好や浄土の様子を心にこらし、その姿や相を想い描くこと。また、特に浄土教では阿弥陀仏の姿やその功徳、さらには浄土の具体的様相を想起する観法の一つ。称名念仏に対することば。ただ観念ともいう。観念の念仏と同義。源信は『往生要集』中において、「初心の観行は深奥に堪えず。…まず仏の色相を念ぜよ」(浄全一五・七九上)といい、仏の相好を個々に観想する別相観、総括的に観想する総相観、仏の眉間白毫の相に限定して観想する雑略観を修すべきことを説き、さらには、「もし相好を観念するに堪えざるものあらば」(浄全一五・八五下)と説示していることから、仏の色相を心に想い浮かべることを観念、あるいは観想の念仏としている。この観想念仏の究極の状態は、総相観で示される三身即一の阿弥陀仏と行者が融合し一体となっていくことで完成される理の観念を指している。また、別相観や雑略観で説かれる観想は事の観念として位置づけられる。
【参考】和田典善「観想と観相—『往生要集』とその撰述前後の浄土教典籍を中心に—」(『仏教文化研究』五三、二〇〇九)
【執筆者:和田典善】