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神谷大周

提供: 新纂浄土宗大辞典

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かみやだいしゅう/神谷大周

天保一二年(一八四一)正月二四日—大正九年(一九二〇)二月二五日。円蓮社斉誉聖阿、あざなは普該。甘黙、東海主人と称した。深川霊巌寺三五世、清浄華院六五世。明治時代を代表する布教家で、宗学伝法にも精通。名古屋永安寺町に神谷伝左衛門・塚本加賀子の五男として生まれた。幼名は李吉。嘉永三年(一八五〇)六月、名古屋建中寺立誉大基について得度し名を大周と改めた。安政二年(一八五五)八月、伝通院学寮華王窟に入り、同年一一月に立誉玄順より五重を受け、翌三年飯沼弘経寺秦冏より宗戒両脈を伝授された。また立誉行誡・鏡誉智曇より宗乗余乗を学び、愛宕真福寺の龍謙について唯識を学んだ。慶応元年(一八六五)一一月華王窟寮主となり、翌年一文字席に進んだ。明治一一年(一八七八)浄土宗東部宗学校教授となり、同一二年四月霊巌寺に進董。同二〇年五月清浄華院住職に就任し、霊巌寺を兼務。同二五年七月清浄華院住職を辞職し、日清・日露戦争においては軍隊慰問布教に従事した。同三七年七月浅草幡随院兼務住職に特命され、同四四年二月名古屋市熱田に父母の追善のために大周寺を建立した。同四五年三月幡随院住職を辞職し、大正五年(一九一六)八月霊巌寺住職を辞職した。著書に『結縁五重筌蹄せんたい』『仏説阿弥陀経』『伝法沿革依憑詮考』など多数。大周の蔵書は横浜市の大倉精神文化研究所に大周寺文庫として寄託された。


【資料】『斉誉勧学記念文集』(椎尾弁匡、一九一八)、『甘黙余影』(霊巌寺文書課、一九二〇)、『清浄華院誌要』(浄全二〇)


【参考】大橋俊雄『霊巌寺史』(霊巌寺、一九八一)


【執筆者:石川達也】