霊魂
提供: 新纂浄土宗大辞典
れいこん/霊魂
身体のなかにあり、そこから遊離するとされる不可視の霊的存在。「霊」は形をもたない精気を表し、「魂」は精神をつかさどるエネルギーを意味する。霊魂とは人間の身体内にあって、その精神・生命を支配する存在といえる。E・B・タイラーは、未開人の夢の現象から、身体に束縛されている「身体霊」と、身体には束縛されていない「自由霊」とに分類している。病気や死は、霊魂が人間の身体から遊離した状態であると見なされ、また、生きている人間の霊が霊媒によって他人や他のものに乗り移ることができると考えられてきた。『源氏物語』には、六条御息所の生霊が、臨月の葵の上に乗り移った場面が描かれている。遊離しようとする魂を身体に鎮め込む儀礼を魂鎮めといい、魂を奮い起こし活発化させる儀礼は魂振りといった。現に沖縄では、恐怖、病気、事故などにさらされると、霊魂が身体から離れてしまうので、ユタやノロといった巫者に依頼し、「マブイゴメ(魂込め)」という、魂を元の状態に戻す儀礼が行われている。古くから霊魂を表す言葉としては、タマとモノが用いられてきた。また、和魂・荒魂・幸魂・奇魂など、魂にはミタマ・イキミタマ・アラミタマの三種を数えることができる。ミタマはもともと御魂や御霊の漢字が当てられていたが、平安期に天変地異が起こり、非業の死を遂げた憤死者・横死者の霊魂が祟りをなすと考えられるようになり、その霊魂のことを御霊と称するようになった。それを鎮める祭りを御霊会という。結果的に、ミタマは適切な漢字を欠くようになったため、代わって聖霊や精霊の語が当てられたが、結局は精霊に落ち着いた。盆に揃って元気な両親に鯖などの生魚を供する吉事盆をイキミタマと称する土地は多い。アラミタマは新亡の霊であり、祟りをなす最も危険な時期の霊とされる。民俗学的には、仏教での中陰法要や年忌法要は、アラミタマを鎮める意味を持つと考える。三三回忌の弔い上げによって精霊は個性を失って祖霊という集団霊になるとして、柳田国男はいわゆる祖霊神学を打ち立てた。
【参考】柳田国男『先祖の話』(『定本 柳田国男集』一〇、筑摩書房、一九六二)、E・B・タイラー著/比屋根安定訳『原始文化』(誠信書房、一九六二)、佐々木広幹『憑霊とシャーマン』(東京大学出版会、一九八三)、桜井徳太郎『日本のシャーマニズム』上・下(吉川弘文館、一九七四・一九七七)、藤井正雄『祖先祭祀の儀礼構造と民俗』(弘文堂、一九九三)
【執筆者:藤井正雄】