—延享四年(一七四七)一〇月八日。高蓮社尊誉天然。増上寺四二世。生国は備前国。氏姓は不詳。尾道正受院で出家、了長と称したが、のち増上寺了也に師事し了般と改名。増上寺学頭、滝山大善寺一九世、太田大光院三〇世、鎌倉光明寺六二世を経て、元文三年(一七三八)一二月増上寺四二世に就任。たびたび定書さだめがきを沙汰し、山内所化の規律遵守を図る。延享二年(一七四五)七月退任し、麻布一本松に移る。
【資料】『三縁山志』(浄全一九)、『増上寺史料集』一(大本山増上寺、一九八三)
【参考】『大本山増上寺史』本文編(大本山増上寺、一九九九)
【執筆者:中野真理子】