来迎引接
提供: 新纂浄土宗大辞典
らいこういんじょう/来迎引接
念仏者の臨終に際し、阿弥陀仏が聖衆と共に極楽浄土より迎えに来ることを来迎といい、極楽浄土に導き救うことを引接という。略して迎接ともいう。なお引接は引摂と記すこともある。阿弥陀仏の救済の三様態(本願成就・光明摂取・来迎引接)の一つ。四十八願の第十九願が来迎引接の願であり、法然は『逆修説法』一七日において「然れば則ち深く往生極楽の志有らん人は、来迎引接の形像を造り奉りて、則ち来迎引接の誓願を仰ぎたてまつるべきものなり」(昭法全二三四)と述べている。また「いわゆる疾苦身に逼りてまさに死なんと欲する時、必ず境界・自体・当生の三種の愛心起るなり。しかるに阿弥陀如来大光明を放ちて行者の前に現じたまう時、未曽有の事なる故に、帰敬の心の外には他念無し。しかれば三種愛心を亡ぼして更に起こること無し…しかれば臨終正念なるが故に来迎したまうにはあらず、来迎したまうが故に臨終正念なりという義明らかなり」(昭法全二三四)、「然れば則ち来迎引接は、魔障を対治せんがためなり」(昭法全二三五)と述べ、阿弥陀仏の来迎は衆生の三種の愛心や魔障を滅し、正念に導き浄土に往生させるため(来迎正念)であることを明らかにしている。
【執筆者:曽根宣雄】