夢告
提供: 新纂浄土宗大辞典
むこく/夢告
神仏が夢において何らかの意思を示し告げること。またその夢および伝えられた内容をいう。平安時代以降に用例が広く見られるようになる。神の意志表示としての託宣とは異なり、夢告は仏・菩薩の意志やことばが夢を回路として表明され、仏教者個人の神秘的・宗教的体験として受容される傾向がある。夢は古来、神秘的なものとして認識されており、古代においては神の告げとしての夢を得るための祭祀行為が行われ、かつその夢の意味や吉凶を判断する卜占などが行われた。また平安時代から鎌倉時代にかけて、神社や寺院に参籠し、夢告を得ようとする実践行為が盛んであったことが日記、物語、説話などに確認できる。その内実としては、単純に神仏が夢にあらわれるものだけを指すわけではなく、特別な夢を経験した場合、後にその夢が神や仏からの夢告であったという判断がなされることがある。夢告という現象には、それが神仏の意思表現であるという状況判断や解釈が常に伴っているのである。平安時代の浄土信仰における往生の予告や結果が、夢もしくは夢告として示されたことが往生伝などに確認できる。鎌倉時代のいわゆる新仏教の祖師たちについては、夢告が廻心の契機として伝えられている。法然は善導の『観経疏』をうけて専修念仏の道へ進んだが、その確信は善導との夢中での対面にあるとも言われる(『夢感聖相記』)。このほかに親鸞、叡尊、道元、一遍など、夢における体験が重要な意味を持つとされる人物は多い。若い頃から霊夢をたびたび見た明恵が書き残した『夢記』は著名である。
【参考】河東仁『日本の夢信仰—宗教学からみた日本精神史』(玉川大学出版部、二〇〇二)、池見澄隆「〈夢〉信仰の軌跡」(増補改訂版『中世の精神世界』人文書院、一九九七)、藤堂俊英「夢中体験と夢の考察」(『浄土宗学研究』二九、二〇〇二)
【執筆者:池見澄隆】