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明賢

提供: 新纂浄土宗大辞典

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みょうけん/明賢

—明治五年(一八七二)九月二四日。正蓮社等誉覚阿不尚。増上寺六八世。生国は近江国。氏姓は不詳。川越蓮馨寺三八世、太田大光院六〇世、鎌倉光明寺九六世を歴任し、慶応元年(一八六五)増上寺六八世。明治元年(一八六八)増上寺に興学所(のちに勧学所宗学校の端緒)を設立。翌年増上寺は北海道静内郡、志古丹島などの開拓を許可され、志古丹島支配を命ぜられた。同三年養鸕うがい徹定てつじょうに命じ山口に浄土宗講学所を開設し、伝法道場を開く。同五年政府の教導職の制定に際し大講義、ついで権大教正に任命され、八月辞職した。


【参考】『大本山増上寺史』本文編(大本山増上寺、一九九九)


【執筆者:中野真理子】