操作

恵谷隆戒

提供: 新纂浄土宗大辞典

2018年3月30日 (金) 06:20時点における192.168.11.48 (トーク)による版
(差分) ← 古い版 | 最新版 (差分) | 新しい版 → (差分)

えたにりゅうかい/恵谷隆戒

明治三五年(一九〇二)三月二三日—昭和五四年(一九七九)六月一五日。範蓮社良誉空阿。あざなは無一。宗門功労者ならびに教育功労者。佛教大学学長を三期八年務める。現在の広島県三原市八幡町宮内に恵谷覚良・周の次男として生まれ、幼くして竹原西方寺双門そうもん隆春のもとで得度する。県立忠海中学校・佛教専門学校を経て、大正一三年(一九二四)四月、龍谷大学文学部に入学するが、二年間在籍して中退する。昭和二年(一九二七)四月、浄土宗内地留学生として比叡山専修学院(現・叡山学院専修科)に入学し、天台教学を研究する。同六年三月、戒密学研究科を卒業するが、その後一年間、京都専門学校(現・種智院大学)教授長谷宝秀について密教を研究する。この年四月佛教専門学校の助教授になり、同一三年四月に教授になる。そして同二四年四月に佛教大学教授。大学学監、通信教育部長を歴任し、同三六年四月に佛教大学学長に就任。学部の増設、大学院の設置、通信教育部の拡充など大学の基礎づくりに貢献。「持ちつ持たれつ助けあい」が口癖であった。同三八年四月、「浄土教の研究」で大正大学より文学博士の学位を授与、同三九年三月、正僧正司教に叙せられる。同四四年三月学長を辞し、大学院部長兼教授となる。同四五年三月、勧学。同四七年四月、佛教大学仏教文化研究所所長に就任、勲三等瑞宝章を受ける。加行道場璽書道場勧誡師を長く務める。京都称名住職。同五四年六月遷化。世寿七七歳。著書に『略述浄土宗史』(金尾文淵堂、一九三四)、『然阿良忠上人伝の新研究』(同、一九三四)、『概説浄土宗史』(佛教専門学校出版部、一九三六)、『円頓戒概論』(大東出版社、一九三七)、『浄土教の新研究』(山喜房仏書林、一九七六)他。なお、昭和四七年(一九七二)三月、『恵谷先生古稀記念 浄土教の思想と文化』(巻頭に年譜、著作目録)が佛教大学より出版された。


【執筆者:佐藤健】