破門
提供: 新纂浄土宗大辞典
はもん/破門
師が弟子に対して師弟の関係を切り、門弟の列から排すること。あるいは信徒を宗門から除くこと。平成二三年(二〇一一)における浄土宗の宗門法制にはこの文言はないが、懲戒の除籍処分などによる僧籍削除がある。宗史上においては、元久元年(一二〇四)法然が門弟たちを戒めた『七箇条制誡』において、停止すべき七項目をあげ、「この上なお制法に背く輩は、これ予が門人に非ず。魔の眷属なり。更に草庵に来る可らず」(昭法全七八九)として門人から排すことを宣しており、最初の破門の条項とみることができる。この後行空は「行空に於ては殊に不当なるに依り、源空上人一弟を放ち了んぬ」(『三長記』)とあり、門下から破門されている。永禄六年(一五六三)の存貞の談義所壁書には寺家追放という表現が散見され、江戸時代初期の宗門統制においては、元和元年(一六一五)の浄土宗法度に、一寺を追放された所化は、談所の会合に出てはならないと規定されている。また、檀林制度の中で、寛永九年(一六三二)の所化入寺掟では入寺する上の条件が示され、それに背いた場合は追放という形がとられた。そして檀林に所属すると着帳し、さまざまな理由で離れたり追放されたりすると消帳となった。
【資料】『増上寺史料集』一
【参考】大島泰信『浄土宗史』(浄全二〇)
【参照項目】➡義絶
【執筆者:野村恒道】