三長記
提供: 新纂浄土宗大辞典
さんちょうき/三長記
三条中納言藤原長兼の日記。古写本の一部による、建久六年(一一九五)から建永元年(一二〇六)の残欠本があり、正記は現存しない。三条中納言の日記であるので『三中記』、三条黄門(中納言の唐名)より『三黄記』、清廉潔白で天の如くの人物であることから『清白記』『如天記』などの別名がある。長兼の父は葉室家の祖藤原顕隆の子権中納言藤原長方、母は入道少納言藤原通憲(信西)の女で、九条家の家司として九条兼実にも仕えた人物である。現存する記事は断片的であるが浄土宗教団の成立期に当たり、専修念仏の停止と法然の流罪さらには弟子の処刑された建永の法難に関することなど、当時の世相を知る重要な史料を提供する。
【所収】『増補史料大成』三一
【資料】『大日本史料』四—一三・健保二年二月八日の条
【参考】高橋広元「法難に関する資料としての三長記」(浄土学八、一九三四)
【執筆者:魚尾孝久】