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二尊

提供: 新纂浄土宗大辞典

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にそん/二尊

釈迦仏と阿弥陀仏のこと。善導の『観経疏』玄義分には「今、二尊の教に乗じて、広く浄土の門を開かん」(聖典二・一六一/浄全二・一下)といい、また善導釈尊を「娑婆の化主」とし、阿弥陀仏を「安楽の能人」と述べ、その上で「釈迦はこの方より発遣し、弥陀はすなわちかの国より来迎したまう」(聖典二・一六二/浄全二・二上)と述べている。さらに同散善義には二河白道譬喩を出し、発遣教主としての釈尊招喚教主としての弥陀を説き、二尊の教説の一致することを示している。法然は「この外に奥深き事を存ぜば、二尊の御愍に外れ本願に漏れそうろうべし」(『御誓言の書』聖典四・二九九/昭法全四一六)と説いている。聖光は『西宗要』四において浄土宗本尊釈迦弥陀二尊とするのか弥陀一尊とするかについて、道理の上から釈迦弥陀二尊本尊とすべきことを説いている(浄全一〇・二一四下)。また『和語灯録』序において道光は「釈迦発遣の教主、弥陀来迎本尊なれば、二尊心を同じくして往生の道を弘めんがためなるべし」(聖典四・二八一/浄全九・四六八上)と述べ、釈尊発遣教主阿弥陀仏来迎本尊とする。なお法然門下に「二尊一教」「二尊二教」などの諸説がある。


【資料】『選択集』八、一一、『西方指南抄』下末、『伝通記』玄義分記一、良栄理本『東宗要第一見聞』一、『一枚起請之註』


【参照項目】➡二尊教二尊一教二尊二教


【執筆者:笠島崇信】