中村弁康
提供: 新纂浄土宗大辞典
なかむらべんこう/中村弁康
明治一七年(一八八四)五月九日—昭和三四年(一九五九)七月三日。無量光院勲蓮社徳誉演阿撫象。浄土宗教学部長、増上寺執事長。浄土宗信仰の流布に邁進した。静岡県清水の実相寺に中村弁応の二男として生まれ、浄土宗学尋常科に進み、明治義会中学校中学科を卒業。明治三六年(一九〇三)宗戒両脈を相承し、翌年、実相寺住職を拝命した。大正一二年(一九二三)より宗会議員となり、昭和六年(一九三一)より教学部長を務める。その間、布教師養成機関の設置や信行道場道場長を務めるなど後進の指導に力を入れ、宗門布教教化の第一線に立った。その一方、自ら共生会、光明会といった新しい運動に進んで参加し、定期的に別時会を修した。また、真野正順等と共に法然上人鑽仰会を創立、雑誌『浄土』を発刊した。同一八年戦中の増上寺執事長となり、戦後の復興に尽力した。同二五年病のため、木更津専念寺に隠遁。世寿七五歳。著書多数。
【参考】中村弁康『信仰読本』(増上寺、一九六〇)、『弁康大和尚略伝』(実相寺、二〇〇八)
【執筆者:中村康祐】