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雲臥

提供: 新纂浄土宗大辞典

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うんが/雲臥

寛永一九年(一六四二)—宝永七年(一七一〇)うるう八月一八日。真蓮社証誉。あざなは独青。増上寺三四世。江戸番町の生まれ。姓は長田氏。江戸麴町栖岸寺の玉誉恢龍のもとで得度増上寺学寮で修学、二四世露白より法脈を受ける。同寺学頭小金東漸寺一六世、飯沼弘経寺二九世を経て、元禄一三年(一七〇〇)増上寺三四世に就任。同一五年大僧正に任ぜられる。同一六年一一月の江戸大火では増上寺近くまで火の手が及んだため、幕府に働きかけ「増上寺消防の制」の制定に尽力。また同年山内学衆の新住職願いに関する規則を定めた。その政治手腕で三河国高月院常紫衣許可の取次、京都法然院の復興、浅草誓願寺寺領加増などに尽力。徳川綱吉と母桂昌院の帰依を受け、たびたび御前法問を修した。宝永元年(一七〇四)徳川綱教室(綱吉女、鶴姫)の逝去に際し葬送の導師を勤めた。同年麻布一本松(現・麻布台)に隠居した。『頌義底本』『円光大師名号記』など多くの著書があり、宗学者としても名高い。


【資料】『三縁山志』(浄全一九)、『山門通規』(『増上寺史料集』三)


【参考】『大本山増上寺史・本文編』(大本山増上寺、一九九九)


【執筆者:中野真理子】