高月院
提供: 新纂浄土宗大辞典
こうげついん/高月院
一
愛知県豊田市松平町。本松山寂静寺。三河教区№一二七。徳川将軍家始祖松平家の菩提寺の一つ。松平八代(三河八代)の初代松平親氏、同二代泰親の墓所。開山は見誉寛立。足助氏の出自。朱印は一〇〇石。松平郷の豪族在原家に婿養子として入った親氏は寛立を開山とし菩提寺とした。貞治六年(一三六七)の創立。中興開山は超誉存牛、松平氏第四代親忠の第五子で岩津信光明寺三世。後、知恩院二五世をへて、天文一四年(一五四五)高月院に隠居し寺域等整備。家光を始め幕府は手厚く保護した。元禄一四年(一七〇一)に常紫衣の綸旨。
【参照項目】➡存牛
【執筆者:田中祥雄】
二
宮崎市佐土原町上田島。大池山青蓮院。三州教区№一〇。開山は京都、大雲院の住職であった聖誉貞安で、佐土原藩二代藩主である島津忠興が、慶長一七年(一六一二)に初代佐土原藩主島津以久の三回忌にあたり建立した。この高月院という名は初代藩主の「高月院殿前典廐照誉宗恕居士」という戒名に由来する。それ以来、藩主の菩提寺ともなっている。
【資料】『蓮門精舎旧詞』三七(続浄一九)、『飯沼弘経寺志』(浄全一九)
【執筆者:冨川禎顕】