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伊藤宏天

提供: 新纂浄土宗大辞典

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いとうこうてん/伊藤宏天

明治二五年(一八九二)八月二四日—昭和四四年(一九六九)一一月八日。秀蓮社瑞誉徳阿。現在の岐阜県安八郡輪之内町に生まれ、明治三三年(一九〇〇)京都市下京区松原通大宮正法院鏡誉宏伝の弟子となる。大正一〇年(一九二一)宗教大学研究科卒業後、同大学の社会事業研究室に籍を置き、椎尾弁匡の指導を仰ぐ。これを機に共生会教化運動に参加、さらに布教師養成の宗立信行道場の指導主事となり、生涯を通して布教伝道に従事した。また昭和一六年(一九四一)より一〇年間、佛教専門学校講師として教鞭を執る。滋賀県草津市青地町無量寿寺住職を経て、同三二年愛知県岡崎市大樹寺貫主となる。著書に『口述はなしことば五重勧誡』などがある。


【参考】伊藤宏天『口述五重勧誡』(無量寿寺、一九七〇)


【参照項目】➡口述五重勧誡


【執筆者:伊藤瑛梨】