三清浄心
提供: 新纂浄土宗大辞典
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さんしょうじょうしん/三清浄心
無染清浄心・安清浄心・楽清浄心の総称。三種随順菩提門法、三種菩提心ともいう。世親は『往生論』の長行において、「一には無染清浄心、自身の為に諸楽を求めざるを以ての故に。二には安清浄心、一切衆生の苦を抜くを以ての故に。三には楽清浄心、一切衆生をして大菩提を得せしむるを以ての故に、衆生を摂取して彼の国土に生ぜしむるを以ての故に。是を三種随順菩提門の法満足すと名づく」(聖典一・三七〇/浄全一・一九七)といい、この三種の心は菩提に随順する清浄な心であると指摘している。第一心は智慧門にもとづいて、自身のために諸楽を求めない心をいう。第二心は慈悲門にもとづいて、一切衆生の苦を抜いて安穏ならしめる心をいう。第三心は方便門にもとづいて、一切衆生を安楽国に往生せしめ、畢竟常楽大菩提を証得せしめる心をいう。この三清浄心は菩提に相違する門(障菩提門)ではなく、菩提に順う門(順菩提門)であり、これらすべてが成就満足したならば、三種随順菩提門法満足と名づけるとともに、妙楽勝真心の一義に集約されるとしている。曇鸞は『往生論註』下の「善巧摂化章」において「此の無上菩提心、即ち是れ願作仏の心なり。願作仏の心、即ち是れ度衆生心なり、度衆生の心とは、即ち衆生を摂取して有仏の国土に生ぜしむる心なり、是の故に彼の安楽浄土に生ぜんと願ずる者は、要ず無上菩提の心を発すべし」(浄全一・二五一下~二上/正蔵四〇・八四二上)と解釈していることから、無上菩提心を発す者は自利・利他ともに実践せねばならないとしている。そして第五「善巧摂化章」、第六「離菩提障章」、第七「順菩提門章」(『往生論註』下、十分科)で、次第に利他の精神が増進するとともに自利行も完成して、妙楽勝真心を成就満足し、安楽国に往生することがかなうと説いている。
【参考】福原亮厳『往生論註の研究』(永田文昌堂、一九七八)
【参照項目】➡三種菩提門相違法
【執筆者:後藤史孝】