元禄一三年(一七〇〇)—明和八年(一七七一)一一月一二日。金蓮社覚誉如阿即空。知恩院五六世。下野国鹿沼、石塚氏の子。宇都宮清巌寺で得度、増上寺学寮に入る。学寮主、川越蓮馨寺二五世、飯沼弘経寺四七世、鎌倉光明寺七〇世を歴任し、明和六年(一七六九)一一月四日に台命をうけ知恩院五六世となる。知恩院在山中、総門中に八箇条の制条を発布、僧風の刷新をはかった。世寿七二歳。
【資料】『華頂誌要』(浄全一九)、『知恩院史』(知恩院、一九三七)
【執筆者:伊藤弘道】