感西
提供: 新纂浄土宗大辞典
2018年3月30日 (金) 06:21時点における192.168.11.48 (トーク)による版
2018年3月30日 (金) 06:21時点における192.168.11.48 (トーク)による版
かんさい/感西
仁平三年(一一五三)—正治二年(一二〇〇)閏二月六日。真観房。一九歳で入室した法然の常随給仕の弟子。日野家宣の息兼嗣とする説がある。建久五年(一一九四)頃、安楽房遵西の父である中原師秀の五〇日の逆修を修した際、先の六会は法然が導師をしたが、結願の唱導は感西が勤めている。感西は文才に秀でた進士の入道であり、同九年の『選択集』述作にあたっては、安楽房遵西に代わって第四章段からの執筆を命ぜられている。そして同年四月八日に法然が没後の相続等を記した『没後遺誡文』によれば、多くの弟子の中でも入室の弟子は七人で、そのうちの一人である感西には、常随給仕の恩に報いるためとして、もと西山広谷に在った吉水中房と、高畠の地一所を付属するとしている。また勢観房源智は法然の弟子となるが、はじめは、感西のもとにおかれて教導を受け、勢観という房号も真観にちなんだものと考えられている。そして感西の臨終の際には、法然は老いた我が身より先に往く若い弟子を嘆き、源智は形見の要文を請うたところ、感西は「如来本誓等云々」の文を書き遺している。世寿四八歳。
【資料】『四十八巻伝』四八(聖典六)、『翼賛』四五、四八(浄全一六)、『逆修説法』(昭法全)
【参考】三田全信『成立史的法然上人諸伝の研究』(平楽寺書店、一九七六)
【執筆者:野村恒道】