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感西

提供: 新纂浄土宗大辞典

かんさい/感西

仁平三年(一一五三)—正治二年(一二〇〇)閏二月六日。真観房。一九歳で入室した法然常随給仕じょうずいきゅうじ弟子。日野家宣いえのぶの息兼嗣かねつぐとする説がある。建久五年(一一九四)頃、安楽遵西じゅんさいの父である中原師秀もろひでの五〇日の逆修ぎゃくしゅを修した際、先の六会は法然導師をしたが、結願唱導感西が勤めている。感西は文才に秀でた進士の入道であり、同九年の『選択集』述作にあたっては、安楽遵西に代わって第四章段からの執筆を命ぜられている。そして同年四月八日に法然が没後の相続等を記した『没後遺誡文もつごゆいかいもん』によれば、多くの弟子の中でも入室の弟子は七人で、そのうちの一人である感西には、常随給仕の恩に報いるためとして、もと西山広谷に在った吉水中房と、高畠たかはたの地一所を付属するとしている。また勢観房源智法然弟子となるが、はじめは、感西のもとにおかれて教導を受け、勢観という房号も真観にちなんだものと考えられている。そして感西の臨終の際には、法然は老いた我が身より先に往く若い弟子を嘆き、源智は形見の要文を請うたところ、感西は「如来本誓等云々」の文を書き遺している。世寿四八歳。


【資料】『四十八巻伝』四八(聖典六)、『翼賛』四五、四八(浄全一六)、『逆修説法』(昭法全)


【参考】三田全信『成立史的法然上人諸伝の研究』(平楽寺書店、一九七六)


【執筆者:野村恒道】