—宝暦四年(一七五四)一一月六日。教蓮社門誉弘願。字あざなは皆乗。増上寺四四世。江戸番町の生まれ。寛哲と名乗り伝通院意哲に師事したが、のち増上寺に移り改名。同寺学頭、生実おゆみ大巌寺二二世、太田大光院三二世、鎌倉光明寺六四世を経て、寛延三年(一七五〇)増上寺四四世に就任。新谷に報恩蔵(のちの酉蓮社)を建立、各学寮の制条の統制、御忌法要の一元化と儀式の厳修など、山内教学の振興をはかるとともに諸式や制度の改革に努めた。
【資料】『三縁山志』(浄全一九)
【参考】『大本山増上寺史・本文編』(大本山増上寺、一九九九)
【執筆者:中野真理子】