江藤澂英
提供: 新纂浄土宗大辞典
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えとうちょうえい/江藤澂英
明治二四年(一八九一)四月一四日—昭和三七年(一九六二)四月五日。浄蓮社忍誉信阿法雷。大本山善導寺六一世、教育者。福井県今立郡味真野村(現・越前市)の江藤喜久太郎の次男として誕生。幼名は英二。明治三六年(一九〇三)に福井市の運正寺・土川善澂について得度し、澂英と改名。浄土宗高等学院を経て、大正五年(一九一六)に京都帝国大学文学部を卒業。同七年には京都定信院に晋董、そのかたわら宗学院や尼衆学校で教壇に立つ。また、同一三年には宗議会議員、同一五年には総本山布教講習所講授のほか、浄土宗教育制度調査会委員、審議院委員など宗の要職を歴任する。その後、昭和八年(一九三三)東山中学校校長となる。同一〇年に浄土宗教学部長を拝命し、再度、宗門行政に尽力。同二〇年には佛教専門学校校長となるも、翌年には善導寺六一世として晋董した。その後は善導寺法主として、大本山昇格(同二八年)や大納骨堂建立(同三四年)などに尽力し、戦後善導寺の復興・発展に心血を注いだ。世寿七〇歳。著書には『忍澂上人』(増上寺出版部、一九三五)がある。
【参考】大橋俊雄『浄土宗人名事典』(斎々坊、二〇〇一)、『東山学園百年史』(東山学園、一九六七)
【参照項目】➡土川善澂
【執筆者:江島尚俊】