慶長七年(一六〇二)—寛文九年(一六六九)八月一〇日。知哲とも書く。乗蓮社頓誉心阿正心。増上寺二五世。生国は美濃。氏姓は戸田氏。京都称名寺で得度。増上寺学寮で修学し、存応に師事。生実おゆみ大巌寺八世、小石川伝通院八世を経て、寛文二年(一六六二)九月、増上寺二五世となる。同五年諸宗寺院法度の制定をうけて、寺内法度五箇条を定め規律の統制を図る。同八年塔頭たっちゅう・学寮が焼失したが、幕府より再建資金の寄進を受けた。和歌をよくし、著書に『倚月雑集』三巻がある。
【資料】『三縁山志』(浄全一九)
【参考】『大本山増上寺史・本文編』(大本山増上寺、一九九九)
【執筆者:中野真理子】