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貞把

提供: 新纂浄土宗大辞典

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ていは/貞把

永正一二年(一五一五)—天正二年(一五七四)一二月七日。黁蓮社道誉。増上寺九世。道誉流伝法の祖。和泉国日根郡鳥取庄波宇手村(大阪府阪南市鳥取)の人。畠山氏の臣下大谷氏に生まれる。大永七年(一五二七)同庄宝福寺(現・法福寺)の貞也について得度し、享禄四年(一五三一)関東に下り増上寺天啓のもとで修学した。九年後故郷に帰り布教につとめたが、自身の未学を知り再び関東に下った。ことに飯沼弘経寺(茨城県常総市)の祖洞に師事し修学に励み、余すところなく受法した。天文年間(一五三二—一五五五)下総国千葉郡生実おゆみ(千葉市中央区大巌寺町)に至り、城主原胤栄の帰依を受け大巌寺開山に招請された。貞把存貞と同じく従来の伝法時機相応箇条伝法に改め弟子に伝授したので、以後この流派は道誉流と呼ばれた。弘治元年(一五五五)七月天啓より法灯を継承し増上寺九世となったが、永禄六年(一五六三)生実に帰住し、同国臼井村に長源寺(佐倉市臼井田)を建立し隠栖した。天正二年一二月七日に遷化し、大巌寺埋葬された。弟子には虎角大巌寺二世)、存把(結城弘経寺開山)ら多くが輩出している。


【資料】『三縁山志』九(浄全一九)、『生実大巌寺志』(浄全二〇)


【参考】『大本山増上寺史』(大本山増上寺、一九九九)


【参照項目】➡道誉流伝法


【執筆者:福田行慈】