「五条袈裟」の版間の差分
提供: 新纂浄土宗大辞典
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ごじょうげさ/五条袈裟
三衣のうち、最も下衣である安陀会を、その形式から五条袈裟という。長方形の全幅を、縦の葉で五条に分け、さらに一条を、横の葉により一長一短に区切るのがその制式である。インドにおける三衣はそれぞれに用途が異なり、『釈氏要覧』に、五条を下衣と名付ける。七条の下に着けるのでこのようにいう。用途から名付ければ、園中行道雑作衣である(正蔵五四・二六八中)といい、『諸回向宝鑑』(二・二三ウ)や『浄土苾蒭宝庫』(下・四三ウ)の「五条之図」に、梵(インド)では安陀会という。日本では最も格下に位置し、或いは下に著するので、下衣と名付ける。用途からいえば、院内道行雑衣と名付ける、というように、本来の安陀会は、身体に直接着けるものであり、歩行や僧院内の作務に用いる法服であった。しかし、中国や日本においては、気候や風土、慣習などの違いから、袈裟を法衣の上に被着したため、三衣の用途も、装束としての意味合いが強くなった。日本においては、三衣は袈裟の格式とされ、条数の最も少ない五条は、平常用の袈裟として、着用しやすく比較的小型のものが各宗で考案された。浄土宗では、身体全体にまとう如法衣形式の五条袈裟はほとんど用いられず、その変形として、大師五条・大五条・小五条(威儀細)・折五条などを使用している。大師五条は、腰を覆う程度の小さめの五条を、左肩から大威儀で吊って着ける袈裟で、『啓蒙随録』には、吉水大師の御影に見る白五条は、昔北嶺(比叡山)の隠遁聖が用いた袈裟であったので、隠者袈裟という。色も種々あり、清浄華院にある古衣は青色である(二・一八オ)といい、法然が常用していたことから、その名が付けられたと記している。大五条・小五条は、同書に、吾が宗の常用の五条は、禅宗の掛絡に倣ったものである(二・一八オ)というように、禅家で平常用いる絡子が原型とされている。小型の五条を細い威儀で首に掛けるものを小五条、大型の五条を左肩に掛け、太い威儀を横掛けにするものを大五条という。その由来については『浄土宗史』に、もと禅僧であった飯沼弘経寺五世祖洞が、帰浄後も環の付いた絡子を着けていたことを他の禅僧に詰問され、環を取って投げ捨てた(浄全二〇・五六〇上)との逸話が伝えられている。折五条は、五条を細長く折り畳み、その浄端を小さな威儀で結び付け、首に掛ける袈裟で、畳五条ともいう。種子衣(伝道袈裟)は、襟に当たる部分に仏の種子を印した略式の袈裟で、折五条に似ているが、五条袈裟とは別のものである。
【資料】道誠『釈氏要覧』、必夢『諸回向宝鑑』、金井秀道『浄土苾蒭宝庫』、大雲『啓蒙随録』、大島泰信『浄土宗史』【図版】巻末付録
【参照項目】➡安陀会
【執筆者:熊井康雄】