「吉蔵」の版間の差分
提供: 新纂浄土宗大辞典
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2018年3月30日 (金) 06:22時点における最新版
きちぞう/吉蔵
梁・太清三年(五四九)—唐・武徳六年(六二三)。中国隋代の僧。三論宗の大成者。胡吉蔵とも、また嘉祥大師ともいう。幼くして興皇寺法朗に仕え、一九歳にして『百論』を講じた。のち嘉祥寺に住して講説したところ、集った学者は一千人を超えたという。唐の武徳のはじめ、十大徳の一人に選ばれ、実際寺、定水寺、延興寺等の諸寺に住した。武徳六年五月命終の日、『死不怖論』を著し落筆して命終した。法然は『阿弥陀経釈』で経文の「一生補処」を釈するのに源信の「聖衆俱会の楽」とする説を用い、この中の聖衆とは普賢、文殊、弥勒のことであるとし、文殊は三論の八不中道、二諦、方等、般若波羅蜜の法文を掌握しているので、たとえこの世で三論の祖師である興皇や嘉祥などに直接会って教えを受けなくても、三論の教学を学ぼうとする意志がありさえすれば極楽へ往生することができるとしている。また『法然上人御説法事』六七日に「三論宗の祖師嘉祥は、観経双観経共に疏を造りたれども、浄土を以て我が本意とせざるが故に委く釈さず」(昭法全二二五)と述べ、浄土の経典に注釈書を作りながら、目的を異にしたため浄土往生に関わる点については細説していないとしている。法然が吉蔵の著作を広く読んだことは『浄土初学抄』に列挙された書名からも推測できる。
【資料】『続高僧伝』(正蔵五〇・五一三~六)、『阿弥陀経釈』『法然上人御説法事』『浄土初学抄』(以上、昭法全)
【執筆者:金子寛哉】