「廓瑩」の版間の差分
提供: 新纂浄土宗大辞典
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2018年3月30日 (金) 06:21時点における最新版
かくえい/廓瑩
—元禄八年(一六九五)正月一〇日。光蓮社明誉と称し、字は念称。遊安とも称す。本所霊山寺中興四世、瓜連常福寺二六世。姓は新田氏、上野国邑楽郡小島の人。一五歳で春岳に師事し、智哲に嗣法した。貞享三年(一六八六)増上寺二臘であった廓瑩が台命によって霊山寺に住した。元禄二年(一六八九)に寺地を浅草から本所に移転し、境内の整備に努めた。同六年台命によって瓜連常福寺に晋董した。同八年正月に増上寺で罹病し、高声念仏で坐したまま往生を遂げた。著書に『安楽集開関鈔』三巻(写本)、『往生要集指麾鈔』二五巻(天和三年〔一六八三〕刊)がある。その学風は精緻に富み、湛慧や珂然を輩出した。
【資料】『鎮流祖伝』八、『新撰往生伝』二(共に浄全一七)、『総系譜』中、『浄源脈譜』『瓜連常福寺志』(共に浄全一九)、『本所霊山寺志』(浄全二〇)
【執筆者:石川達也】