「明賢」の版間の差分
提供: 新纂浄土宗大辞典
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2018年3月30日 (金) 06:34時点における最新版
みょうけん/明賢
—明治五年(一八七二)九月二四日。正蓮社等誉覚阿不尚。増上寺六八世。生国は近江国。氏姓は不詳。川越蓮馨寺三八世、太田大光院六〇世、鎌倉光明寺九六世を歴任し、慶応元年(一八六五)増上寺六八世。明治元年(一八六八)増上寺に興学所(のちに勧学所、宗学校の端緒)を設立。翌年増上寺は北海道静内郡、志古丹島などの開拓を許可され、志古丹島支配を命ぜられた。同三年養鸕徹定に命じ山口に浄土宗講学所を開設し、伝法道場を開く。同五年政府の教導職の制定に際し大講義、ついで権大教正に任命され、八月辞職した。
【参考】『大本山増上寺史』本文編(大本山増上寺、一九九九)
【執筆者:中野真理子】