「善知識」の版間の差分
提供: 新纂浄土宗大辞典
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ぜんちしき/善知識
ブッダの教えを継承し、それを説いて仏道に導く徳ある人のこと。ⓈkalyāṇamitraⓅkalyāṇamitta。善き友、真の友、正しき友のことで善知識と漢訳される。パーリ経典『シンガーラヘの教え』(漢訳『六方礼経』)には四種の親友として「助けてくれる友、苦しいときも楽しいときも一様に友である人、ためを思って話してくれる友、同情してくれる友」(中村元訳『仏典Ⅰ』八六頁、『世界古典文学全集』筑摩書房、一九六六)をあげる。『増一阿含経』善知識品には「諸比丘は善知識に親近すれば、已信便ち増益し、聞施・智慧あまねく増益せん。…もし悪知識に近づかば便ち信戒・聞施・智慧なし」(正蔵二・五九六下)と善知識に親しむことを勧める。『六十華厳』入法界品は善財童子が善知識を歴訪する物語で、善知識の意味を次の一〇種の譬喩で説いている。すなわち『同』五八に、①善知識は行者を仏家に生ぜしめるが故に慈母の如く、②無量の事をもって益を施すが故に慈父の如く、③一切の悪に遠ざからしむるが故に養育者の如く、④菩薩戒を学せしむるが故に大師の如く、⑤彼岸に至らしむるが故に導師の如く、⑥一切煩悩の患を療治するが故に良医の如く、⑦智慧の薬を長養するが故に雪山の如く、⑧一切の恐怖を防護するが故に勇将の如く、⑨生死の海を越えしむるが故に牢船の如く、⑩一切智の宝洲に到らしむるが故に船師の如し(正蔵九・七六九上)と説く。
浄土教において善知識は往生浄土と念仏の教えを説く導き手の意である。すなわち往生にあたり善知識の役割は重要である。『観経』の九品往生の中、下品下生段には臨終のときに善知識の示教を得たならば、五逆十悪をつくった極悪人も臨終に無量寿仏を称え、南無阿弥陀仏を称えれば八〇億劫の罪が滅し、極楽に往生すると説く(聖典一・三一二/浄全一・五〇)。法然は『選択集』九の四修法篇の第二恭敬修に有縁の善知識を敬うことの大切さを述べる(聖典三・一五五/昭法全三三五)。また『和語灯録』の「正如房へつかわす御文」には、仏の本願を信じ、念仏の功を積んでいる正如房に「必ずまた臨終の善知識に遇わせおわしまさずとも往生は一定せさせおわしますべき事にてこそそうらえ。なかなかあらぬ様なる人は悪しくそうろうなん。ただいかならん人にても尼女房なりとも、常に御前にそうらわん人に念仏申させて聞かせおわしまして、御心一つを強く思召して、ただなかなか一向に凡夫の善知識を思召し捨てて仏を善知識に憑みまいらせさせたまうべくそうろう」(聖典四・四二八/昭法全五四五)と仏を善知識とせよと説く。『観経』の下品下生の善知識については、『往生浄土用心』(聖典四・五五四/昭法全五六二)や『一百四十五箇条問答』(聖典四・四六一/昭法全六五七)にも述べている。
【執筆者:大南龍昇】