宝洲
提供: 新纂浄土宗大辞典
ほうじゅう/宝洲
天和元年(一六八一)—元文三年(一七三八)二月一五日。恬蓮社好誉鶴阿。『法然院誌』では恬蓮社好誉蔡阿玄鶴。伊勢国白子の出身で、父は一見小左衛門。同地悟真寺の単誉大玄について出家した。正徳二年(一七一二)湛澄の依嘱を受けて隆尭『称名念仏奇特現証集』に「或問」を附して出版した。享保二年(一七一七)相馬中村藩主相馬昌胤の招きによって陸奥国相馬幾世橋の興仁寺三世となった。宝洲は無能と交友があり、無能の没した翌年(享保五年)に『無能和尚行業記』を著した。また同一三年一一月に相馬昌胤の葬送の導師を勤めた。同一四年九月に洛東獅子谷法然院中興六世として入院した。元文元年(一七三六)珍海『菩提心集』に註を附して出版するなど多くの編著書がある。世寿五八歳。
【資料】大島泰信『浄土宗史』(浄全二〇)、『洛東獅谷法然院誌』(白蓮社瑞宏、一九二七)、『相馬藩世紀』二(続群書類従完成会、二〇〇二)
【執筆者:石川達也】