「雪山偈」の版間の差分
提供: 新纂浄土宗大辞典
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2018年3月30日 (金) 06:27時点における最新版
せっせんげ/雪山偈
一
釈尊が雪山菩薩であったときの本生譚の中で、羅刹に変化した帝釈天が過去仏所説として唱えた「諸行無常 是生滅法 生滅滅已 寂滅為楽(諸行は無常なり、これ生滅の法なり。生滅の滅し已りて、寂滅せるを楽となす)」の偈(『大般涅槃経』下、正蔵一・二〇四下/『往生要集』浄全一五・五二下/G. Bühler.“Three Buddhist Inscriptions in SWAT” Epigraphia Indica, IV, pp133~135.)のこと。この偈は「諸行無常偈」とも「無常偈」とも呼ばれる。偈そのものよりも、この偈を得るために雪山菩薩が羅刹に自分の身命を施す菩薩行の代表例として引用されることが多い(『三宝絵』〔岩波新日本古典文学大系三一・三八~四四〕、『白旗式状』〔『伝灯輯要』六五~六六〕)。法然は「かりそめの色のゆかりの恋にだにあふには身をも惜しみやはする」(『四十八巻伝』三〇、聖典六・四八〇)と歌っている。なお、『いろは歌』はこの偈の日本語表現であるといわれている。
【執筆者:眞柄和人】
二
葬列の大幡に示す文。「諸行無常 是生滅法 生滅滅已 寂滅為楽」(『大般涅槃経』下、正蔵一・二〇四下)。『法要集』では、葬列(野辺送り)の持物である葬具書式の項を設け、「大幡」四流を挙げている。それぞれ一句ずつを記した大幡を四人で揚げて葬列をする。『浄土苾蒭宝庫』下には、第六二「野辺持物の次第」の項にも「大幡四流(四人持)」(一一ウ)とある。
【参照項目】➡大幡
【執筆者:福西賢雄】