「散の一心」の版間の差分
提供: 新纂浄土宗大辞典
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さんのいっしん/散の一心
散心の一心をいい、はじめ散心の状態にあったものが、称名念仏によって心が統一され、定心となる心の状態をいう。良忠『伝通記』一に「はじめて仏の名号を称する時、散心に住すといえども、終に罪障を滅し、まさに定心と成りて仏を見ることを得」(浄全二・一五五下/正蔵五七・五三六上)とあり、また『同』四や聖冏『銘心抄』上に「散の一心とは、散善を行ずといえども分にしたがって心を摂す。等持の分をもって名づけて一心となす」(浄全二・三八八上/正蔵五七・六四八下、聖典五・三八六/浄全一〇・六四下)とあるように、散善の行を修行するのに、はじめは散心の状態であるが、漸次精神が統一されて余念のまじわらない心の状態となる。これを散の一心という。曇鸞『往生論註』上に「心心相続して、他想間雑することなし」(浄全一・二二〇下/正蔵四〇・八二七上)というのは、この状態を指している。
【執筆者:長尾隆寛】