「弥陀化身」の版間の差分
提供: 新纂浄土宗大辞典
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みだけしん/弥陀化身
衆生を利益するために阿弥陀仏が現出した変化身のこと。浄土宗においては善導を指す。善導が弥陀化身であると記載される中国の僧伝は、遵式の『浄土略伝』を嚆矢とし、清月『往生浄土略伝』、陸師寿『新編古今往生宝珠集』、王日休『龍舒浄土文』、宗暁『楽邦文類』、志磐『仏祖統紀』等へと継承される。法然は『選択集』一六において「大唐に相い伝えて云く、〈善導はこれ弥陀の化身なり〉と。爾らば謂うべし。またこの文はこれ弥陀の直説なりと…仰いで本地を討ぬれば、四十八願の法王なり。十劫正覚の唱え、念仏に憑有り。俯して垂迹を訪えば、専修念仏の導師なり。三昧正受の語は、往生に疑い無し。本迹異なりといえども、化導これ一なり」(聖典三・一九〇/昭法全三四九)と説示し、善導を弥陀化身、『観経疏』を弥陀直説とし、阿弥陀仏と善導は本地垂迹の関係にあると明言している。法然が、弥陀化身善導を確証した典拠は『浄土略伝』を引用した『龍舒浄土文』の「本朝慈雲式懺主の略伝に云く、阿弥陀仏、身を化して長安に至り…」(浄全六・八六七上)という一節と推測され、だからこそ法然は「大唐に相い伝えて」と言及していると考えられる。法然の思想史において、弥陀化身善導と共に偏依善導が提唱されるのは『選択集』が初見であり、法然自身の信仰の中で弥陀化身善導が確立されているからこそ偏依善導が成立すると言い得よう。
【参考】大谷旭雄「弥陀化身善導と勢至化身法然の信仰」(『法然浄土教とその周縁』山喜房仏書林、二〇〇七)、林田康順「『選択集』における善導弥陀化身説の意義—選択と偏依—」(『仏教文化研究』四二・四三合併、一九九八)、同「『選択集』の構造—偏依善導一師—」(印仏研究五五—一、二〇〇六)
【参照項目】➡偏依善導
【執筆者:林田康順】