「別意の弘願」の版間の差分
提供: 新纂浄土宗大辞典
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2018年3月30日 (金) 06:32時点における最新版
べっちのぐがん/別意の弘願
菩薩が通じておこす四弘誓願とは別に、阿弥陀仏が法蔵菩薩として修行しているときに自らおこした広大な誓願のことで、阿弥陀仏特有の四十八願を指す。総願(四弘誓願)に対して別意といい、利益が甚だ広大であることから弘願という。出典は善導『観経疏』に「娑婆の化主(釈尊)は、その請に因るが故に、すなわち広く浄土の要門を開き、安楽の能人(阿弥陀仏)は、別意の弘願を顕彰したまう」(聖典二・一六二/浄全二・二上)とあることによる。ここに説かれる別意の弘願とは、善導自身が「弘願というは、『大経』に説くがごとし」(同)というように、阿弥陀仏の四十八願を意味する。『伝通記』において良忠は、これを注釈して「第十八願をもってその要となすべきなり」(浄全二・一三一下)と述べ、第十八願を弘願の要と理解している。また『諸人伝説の詞』において法然は、「別意の弘願に乗ぜずば生死を離れ難きものか」(聖典四・四七九/昭法全六七〇)と説き、末法の世の凡夫が生死を離れる道として、阿弥陀仏の本願によるべきことを述べている。
【資料】『伝通記』(浄全二)、『糅鈔』(浄全三)
【執筆者:吉水岳彦】