「藤花教道」の版間の差分
提供: 新纂浄土宗大辞典
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ふじはなきょうどう/藤花教道
明治三九年(一九〇六)三月一一日—平成三年(一九九一)一二月一八日。仁蓮社礼誉義阿渓月。宗門功労者。現在の富山県射水市に藤花左京・なりの四男として生まれ、六歳のとき同地曼陀羅寺に入寺し、真岸密道のもと得度。同地大楽寺西岡弘山からの経済・人的支援を受け、旧制芝中学校を経て大正大学へ進学し、昭和六年(一九三一)卒業。浄土宗開教使を拝命し、同七年一月六日、ハワイへ渡る。ハワイ浄土宗開教院に駐在し、布教に従事した。同九年一〇月四日にエワ浄土宗教会堂の第六代主任、同一五年六月一八日にはプウネネ仏教会堂の第五代主任を歴任。第二次大戦中の抑留生活の苦難を乗り越え、同二〇年一二月、帰国。東京都北区中里に住し、文京区小石川の慈眼院にも一時身を寄せていた。同二四年七月、再びハワイに渡り浄土宗別院に駐在。教化部委員長を一年務める。同四三年五月、開教区の推薦を受け、第一二代ハワイ開教区総監に就任。同四七年、浄土門主岸信宏を迎え開宗八〇〇年記念法要を厳修、また記念事業として別院庫裡と法然上人求道青年像を建立。同四九年五月、「憩いホール」を計画。同五〇年九月、退任。著作に『ハワイ浄土宗沿革概要』(ハワイ浄土宗別院、一九七四)がある。
【参考】新保義道『ハワイ開教九十年史』(山喜房仏書林、一九八七)、『浄土宗海外開教のあゆみ』(浄土宗開教振興協会、一九九〇)
【執筆者:遠田憲弘】